株式会社 遊友館
宵闇幻影奇譚:黄泉返り、共に歩むPBW

神凪探偵事務所

■神凪探偵事務所
 探偵、神凪志郎(かんなぎしろう)の事務所。入江地区にあるボロい貸しビルの一角にある。
 事務所の奥には神凪だけが入室できる秘密の区画があり、様々な憶測を読んでいる。
 探偵所唯一の構成員であり、根っからの現実主義者にしてオカルト探偵という不思議な異名を持つ神凪志郎の事務所は、様々な依頼が舞い込んで来る。

●ゲームシステム上での役割
 シナリオ型ノベル商品の参加場所の一つです。



■華羅市のとある風景『神凪探偵事務所の日常』

 入江地区某所――そこにはうらびれた貸しビルがある。
 あえて褒めてみるなら時代的な雰囲気があるだとか、いい味を出しているなどとでもなるのだろうが、言ってみれば何のことはない低層のぼろいビルである。
 そんなぼろい貸しビルの中に、とある探偵事務所が入っていることを知っている者は少ない。そもそもそのビルの中に、テナントが入っていることすら世間一般では知る者は少ないのだからして。2001年の華羅水没災害によって、半ば見捨てられたような感のある入江地区だからなおさらのことである。
 だがしかし、ある種の困りごとを抱えてしまうこととなった者たちにとっては……この探偵事務所は駆け込み寺のようなものだった。そこは神凪探偵事務所、所長にして唯一の探偵である男の名は神凪志郎といった。

 朝……といってももう昼もだいぶ近くなった頃であるが、神凪は来客用のソファに横たわり未だ夢の世界に捕われていた。よれよれのスーツという着の身着のままの姿で、それでもかろうじて羽織っていたアーミーコートを毛布代わりにしているという状態であった。
「う……むぅ……」
 その時突然、眠りにあった神凪の口から声が漏れてきた。ようやく目覚めようとしていたのか。
「……ぅ……ダ……メだ」
 いや違う。目覚めたのではない、彼の意識はまだ夢の世界にあったのだ。苦しげに神凪は言葉を吐き出す。
「戻……れ……」
 神凪の額に脂汗が浮かび、息も次第に荒くなる。よほど悪い夢でも見ているのか。
「……も……ど……ぁ……戻……」
 そして。
「戻れぇぇぇぇぇぇっ!!」
 神凪が叫び声を上げた瞬間、窓ガラスがびりりと震えた――。

神凪志郎  ぼやけていた視界が、次第にはっきりとしてくる。ようやく目が覚めた神凪の視界にあったのは、相変わらずの事務所の汚れた天井だった。
「……夢か」
 ふう、と溜息を吐くと神凪はゆっくりと上体を起こした。そしてかけていたアーミーコートを背もたれへとかけ直した後、右手の甲で額の汗を拭った。
 夕べは聞き込みのため、数件のスナックやらバーやらをはしごするはめになった。さてさて、そこで高いだけの酒を何杯飲まされたことか。
「ありゃ、多分に情報料が含まれてたな……」
 寝癖のついた髪をぼりぼり掻きながら、やれやれといった様子でつぶやく神凪。夕べの酒はろくに旨くもない物ばかり。夢見を悪くするには、これほどぴったりな酒もないだろう。
「うん、だよな。あの時、振り切った奴は居なかった……居なかったんだ」
 自分自身へ、確認するようにつぶやく神凪。だがしかし、神凪があの時その場に居たことは夢ではなく確かなる事実だ。
 ソファに座り直した神凪は、背もたれにかけているアーミーコートの外ポケットに手を突っ込むと、ぐしゃぐしゃになった煙草の箱を取り出した。そして中から最後の1本を取り出し口にくわえ、火をつける訳でもなくただぼうっとしていた。何か特定の物を見ているような様子でもないことからして、まだ少し頭がはっきりと動いていないのであろう。
 そんな時、机の上の電話がけたたましく鳴り出した。神凪はやれやれといった様子で首を左右に振ると、ゆっくりとソファから立ち上がった。その瞬間、電話はぴたりと鳴り止んだ。
 溜息を吐いた神凪は、何気なく玄関の方へ目をやった。何やら茶色い物が見える。神凪が玄関へ向かうと、それは茶封筒であった。
 身を屈め、茶封筒を拾い上げる神凪。玄関に鍵がかかっていたので、扉の下の隙間から差し入れたようだ。宛名の記されていない茶封筒をくるりとひっくり返すと、端に何やら記号のような物が記されていた。
(……来てたのか)
 神凪にはその記号に見覚えがあった。知り合いである裏の情報屋が使っている物である。恐らく何か新しい情報が手に入ったので、神凪に知らせに来てくれたのであろう。
 情報屋への後の情報料のことを考えつつソファへ戻ると、神凪はさっそく茶封筒の中身を改めた。中に入っていたのはメモ書きが1枚。その内容に目を走らせ、眉をひそめる神凪。
(業魔……か……)
 神凪はメモからゆっくりと顔を上げた。
(21世紀になった途端、物騒な世の中になったもんだ)
 その神凪の想いには、当然のことながら華羅水没災害のこともあったことだろう。だが残念ながら、今回もたらされた情報には神凪が欲する内容は皆無だった。
 神凪はメモを茶封筒に戻すと、ぐしゃりと左手で握り潰した。そのまま灰皿の中へ放り込み、ライターで火をつける。瞬く間に燃え上がり白き灰へと次第に変わってゆく茶封筒。その炎で神凪は、くわえていた煙草に火をつけた――。

 一服終えた神凪は、台所で目覚めのコーヒーと固ゆで卵を作るべくソファからまた立ち上がった。本人としては上質な豆を挽いた物でコーヒーを飲みたいものだと常日頃思ってはいるが、現実はそうなかなか上手くゆかずインスタントである。やはり先立つ物が乏しいと、そのような贅沢に力を入れるのは難しい。何せ嗜好品における神凪の優先順位は、コーヒーよりもタバコの方が上であるからして。
「ふう……」
 空になった皿とコーヒーカップを前に、ようやく人心地ついたらしい神凪は満足げに息を吐き出した。
「あ」
 と、何かを思い出したように慌てて立ち上がる神凪。そして空の皿とコーヒーカップを手に台所に一旦引っ込むと、中から何やらがさごそと探すような気配があって、それから袋を提げて台所から戻ってきた。ソファの背もたれにかけてあったアーミーコートをつかみ取ると、そのまま神凪は奥の扉へと向かう。
 扉のドアノブの下には鍵穴があり、それとは別に南京錠までつけられていた。神凪はアーミーコートの内ポケットから2本の鍵を取り出し、各々の鍵を開けて奥の部屋へと滑り込んだ。手にはそれら鍵の他、開けた南京錠まで握られていた。
 奥の部屋へと入った神凪は、すぐさまくるりと振り返り鍵をかけたかと思うと、何と扉のとは別につけたと思われる内鍵3個もかけ始めたのである。ご丁寧に扉の上部、中程、下部と位置をばらけさせているから恐れ入る。さらには手にしていた南京錠を、それら3個の内鍵とは別にかける始末。これではちょっとやそっとでは、外から入ってこれそうにない。そこまで注意しなければならぬほど、この奥の部屋には重要な物でも隠されているのであろうか……?

 さて、奥の部屋の入ってすぐの所には大きな衝立が複数置かれていた。万一何かの拍子に誰かが入ってきても、その奥にある物をすぐには発見されぬようにしているのだろうか。とすると、ますますもって興味深い部屋である。
 神凪は衝立の間をすり抜けた。部屋の奥に、何やら緑色をしたマットのついた囲いらしき物が置かれているではないか。囲いの方へと静かに近付く神凪。その顔にはいつの間にやら笑みが浮かんでいた。
「ああ、悪い悪い……。忘れてたんじゃないんだぞ、な?」
 ぼそぼそと小さな声でつぶやきながら、神凪は囲いのそばにしゃがみ込んだ。囲いの中には何か茶色い塊が丸まっていたが、神凪の声が聞こえたか塊はむくりと起き上がってそばへとちょこちょこ寄ってきた。
 それは耳が大きく垂れたうさぎであった。恐らくロップイヤーという種類であろうか。それなりに大きく、風格が感じられる……というのは言い過ぎだろうか。
「今日のも旨いぞ。ささ、食べろ食べろ」
 と言って神凪が袋を探って取り出したのは、濃い緑をした小松菜であった。神凪が小松菜をうさぎの前に差し出すと、うさぎは数回鼻をふんふん鳴らしてからようやくそれに口をつけた。
「ゆっくり食べていいんだぞ。誰も取ったりしないんだからな」
 ぼそぼそと言いながら小松菜をうさぎの前に置き、笑みを深める神凪。非常に優しげな眼差しを、はむはむと小松菜を嗜んでいるうさぎへと注いでいた。そんな神凪の姿は、普段の彼を知る者であるならば非常に驚くことだろう。何しろ知り合い内での神凪の印象はおおむね、ハードボイルドというものであるのだからして。
 そのギャップは、神凪自身も自覚はしているのだろう。だからこそこのような真似をしている訳だからして。それでいて普段、知り合いに奥の部屋のことを尋ねられると、仕事上の機密だなどとしれっと嘘を吐くのだからたいしたものである。
 うさぎはゆっくりではあるが、一心不乱に小松菜を食べ続けている。その光景を微笑ましく見つめながら、いつしか神凪はこのうさぎと出会った夜のことを思い出していた……。

 それは2001年1月1日のことだった。そう、華羅市に住まう者にとって決して忘れることの出来ぬ日だ。何せ21世紀最初の記念すべき日にして、あの大規模な地盤沈下という忌まわしき災害の起こった日である。その結果、入江地区の大部分――今は分離され瀬戸地区と呼ばれている所だ――が水没し、犠牲者も大勢出してしまったのだから。
 この日神凪は入江地区の警察署にて勤務していた。災害発生後、ただちに下された入江地区の封鎖命令。もちろん神凪も狩り出され、一警察官として封鎖作業を行っていた。神凪の担当地点ではなかったが、後に聞いた話では、子供がまだ居るからと警察官を振り切って中へ入っていったまま戻らなかった者も他の地点では居た……ということだ。
 そんな己の無力を噛み締めさせられるはめになった夜、神凪が出会ったのが今現在飼っているうさぎである。自力で逃げてきたのか、あるいは飼い主とはぐれたのか、今となってはもう分からない。だがいつの間にやら足元に居たうさぎを見付けた神凪は、そのままこの場に放ってはおられなかったのだ。
 それからまもなく警察を辞した神凪は、今の場所に事務所を構えた。件の夜に保護したうさぎと一緒に。以来数年、神凪は探偵稼業を営みながら瀬戸地区に関する情報をも集めているのである。何者にも縛られぬ立場で、件の災害について真実を追い求めるべく。

「……と。見とれてちゃダメだったな」
 うさぎの愛らしい姿をしばし見つめていた神凪だったが、やるべきことを思い出して腰を上げた。やるべきこととはもちろん! うさぎの入っている囲い――サークルの掃除と、牧草の補充、そして飲み水の取替えである。うさぎを飼う者として、当たり前のことではないか。
(でもこういった世話も、あとどのくらい出来るものかな。1日でも長くやってやりたいものだが……)
 作業をしながら、不意にそんなことを思う神凪。出会いからすでに8年以上は経っている。うさぎの平均寿命がだいたい7年ほどで、うさぎの1年が人間換算で7〜8年程度だと神凪は聞いたことがあった。それを考えると、老齢で長生きな方だと言えるだろう。
 考えてみれば……このうさぎも件の災害に遭って生き延びているのである。それに加えて飼い続けた愛着とうさぎの年齢などの要因が合わさって、神凪もついつい表情が緩んで甘くなってしまうのかもしれない。
 その証拠に例えば先程の小松菜だが、特別に取り寄せている高級な無農薬野菜である。それ以外にもあれこれ手をかけており、うさぎの余生としては十二分に幸せな状況に置いていた。思うに常々神凪の懐が厳しいのは、きっとこれらのせいもあるのではなかろうか?
 やがて一通り作業を終えた頃だ。急に動きをぴたりと止めると、神凪は耳をそばだてた。遠くの方で何やら音が聞こえたような気がしたからだ。しかもそれは、次第に近付いてきているような雰囲気も感じられた。
「また後で遊んでやるからな」
 うさぎに向かって小声でそう告げると、アーミーコートを小脇に抱え奥の部屋から出てゆくことにした。静かに出入りと施錠を済ませ、神凪は玄関の方に注意を払った。
 ここからだとはっきりと分かる。足音が1つ、確実にこちらの方へと近付いてきていた。アーミーコートを羽織り、息を殺して様子を窺う神凪。足音は玄関の前で止まり、ややあってから扉を叩く音がした。
「あの、すみません……」
 何者かの声が扉の向こうから聞こえてくる。神凪が黙っていると、再度扉が叩かれ問いかけがあった。
「あの、神凪探偵事務所はこちらで……」
「ええ。こちらで合ってますが」
 不意に答える神凪。それに驚いたのであろう、扉を叩いていた手がぴたっと止まった。
「今開けます」
 と言って神凪は玄関へ行くと鍵を開けた。
「どうぞ」
「失礼します……」
 扉を開け入ってきたのは1人きりだった。神凪の見た所、中肉中背の自身と同じくらいの背丈である。
「ご用件は?」
「その……お仕事をお願いしたく」
 神凪の問いかけに、相手は静かに答える。なるほど、依頼人候補という訳か。
「まずはお話を伺いましょう。どうぞこちらへ」
 神凪がソファへと促すが、相手の足は1歩も動かない。うつむき、何やら思案しているようである。
「もしもし?」
 動かぬのを不審に思った神凪が声をかけると、相手は意を決したように顔を上げてこう言った。
「あの……。ここは……オカルト現象を解決してくれる……ということで、有名だと聞いてきたのですが……」
 意を決したとはいえ、最後の方はほとんど消え入るような声であった。その瞬間、神凪の眉間にしわが寄った……ように見えた。
「……オカルト現象?」
 とだけ言い、黙り込む神凪。どうやらこの単語が、神凪に反応をさせたようである。
(たく、また『その手の』話かよ)
 神凪が心の中でそうつぶやいた。正直な所、このような依頼には関わりたくはないのである、神凪としては。
 乱暴な言い方になるかもしれないが、オカルト現象という物は要するに目に見えぬ何かが奇妙な現象を起こしているということだ。自分の目で見た事柄しか信じられぬ神凪には、それがどうにも気に食わないのである。
 そんな神凪の気持ちが伝わってしまったのだろうか、相手は深い溜息を吐いた。
「あの……やっぱりダメなんでしょうか……」
「あ、いや……。ともかく、あちらで詳しいお話を」
 再度ソファへと相手を促す神凪。神凪探偵事務所の財政は正直、この依頼は嫌だなどと選り好みはしていられない状況である。オカルト絡みであろうが、非合法な依頼であろうが、何であろうとも……。
 その結果、ある筋では有名なオカルト専門探偵などと呼ばれてしまっているのは、何とも皮肉なことだ。

 それから約30分後。帰ってゆく依頼者の背中を窓際から見送っていた神凪は、入れ違いにやってくる一団に気付いた。いずれも見知った顔だ。
(ふむ。この依頼もまた、奴らに任せることになりそうだな)
 そんなことを思う神凪。奴らというのは、主にこの事務所に出入りしている連中や知り合いといった類の者たちのことだ。その多くがオカルトやら何やらその方面に興味があったり関わったりしている者たちであることは、非常に興味深く何とも不思議な話である。
 無論、何も出来そうにない連中に対し、気乗りしないとはいえ大事な仕事を神凪が任せるはずもない。少なくとも、何かしら力量のある者たちだと判断しているからこそ任せることが出来るのだ。
 力量があると判断したのだから、神凪はあえてそのような者たちの素性を探るような真似もしない。来る者拒まず去る者追わず、相手が信頼してくれているのであれば自身もそれを裏切らぬだけのことだ。神凪はそんなこと、口にも態度にも決して出しはしないけれども。
「神凪さん、こんちはー!」
「こんにちはです」
 まもなく先程の一団が現れ、たちまち賑やかになる事務所内。そんな中、目ざとい者がこう神凪に尋ねてきた。
「あれっ? どなたかお客さんがあったんですか?」
「ああ。実はだな……」
 先程の依頼内容を、神凪はかいつまんで説明した。
「という訳だ。まあ今日来たのも何かの縁だ、手伝っていけ」
「えー。そりゃ別に構わないけど、たまには神凪さんも動こうよ」
 すでに何度かこの手の依頼を任されたらしい者が、抗議の声を上げた。手伝いと神凪は言っているが、実際の所はほぼ丸投げであることをよく分かっているからこそ出てくる言葉だった。
「悪いな。それは俺の管轄外なんだ」
 そちらに顔を向ける訳でもなく、しれっと言い放つ神凪。
「それじゃ何が管轄だと……」
 と抗議した者は言いながらも、さっそくペンを取り出しメモ帳を広げている。何だかんだ言いながらも、事件には興味がある訳だ。
(俺の管轄か)
 あえて言うならば、それはやはり件の災害の原因を探ることになるのだろうか?
「神凪さん。もうちょっと詳しい話を」
「……待ってろ、今教えてやる」
 質問の声に、神凪は思考から引き戻された。
 かくして今日もまた、神凪探偵事務所に人は集うのである――。

writing by 高原恵
illust by 陸原一樹(神凪志郎)
illust by ふぉ〜ど(神凪探偵事務所)
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